岡山市内の神社や史跡を巡りました。
岡山縣護国神社

岡山市中区
英霊に感謝
岡山縣護国神社は、明治戊辰の役以来国難に殉じた岡山県出身の英霊56,700余柱をお祀りしています。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝の誠を捧げました。
岡山縣護国神社
岡山城

岡山市北区
烏城(うじょう)
岡山城は、天守の外壁に黒い下見板が張られていることから、その色合いにちなみ「烏城(うじょう)」とも呼ばれます(「う」はカラスの意味)。
天守は戦災で焼失しましたが、昭和41年(西暦1966年)に再建されました。
もとは五大老の一人・宇喜多秀家(うきたひでいえ)公の居城でしたが、関ヶ原の戦いで豊臣方に属して敗れ、代わって小早川秀秋(こばやかわひであき)公が入城しました。
しかし秀秋公は若くして病没し、その後は池田氏の居城となりました。
岡山城
後楽園

岡山市北区
江戸初期に岡山藩主によって造営された日本庭園で、日本三名園の一つに数えられます。
岡山城に隣接しており、景観を楽しむだけでなく、城の守りを補完する役割も担っていたそうです。
後楽園
夢二郷土美術館

岡山市北区
夢二郷土美術館は、美人画で知られる竹久夢二の作品を収蔵・展示する美術館で、後楽園の近くにあります。
竹久夢二は明治17年(西暦1884年)、岡山県邑久郡本庄村(現在の瀬戸内市)に生まれました。
雑誌や新聞の挿絵で一躍人気を博し、叙情的で情感あふれる作風で多くの人々を魅了しました。やがて画家の枠を超え、デザインや詩作など幅広い分野でその才能を発揮しました。
夢二郷土美術館
吉備津彦神社、吉備津神社
岡山市の吉備津彦神社・吉備津神社、そして福山市の吉備津神社は、いずれも大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祭神とし、それぞれ備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・備後(びんご)の一宮として知られています。
大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人に選ばれて、西道(のちの山陽道)に派遣された人物です。
大吉備津彦命は桃太郎のモデルともいわれています。かつて、百済の王子で「鬼」と恐れられた温羅(うら)が備中国新山(現在の総社市)に居城「鬼ノ城(きのじょう)」を築き、船舶を襲撃するなど吉備の国で乱暴狼藉を働いていました。人々がその窮状を朝廷に訴えたところ、大吉備津彦命が派遣され、温羅を討伐したと伝えられています。
備前国一宮 | 吉備津彦神社

岡山市北区
夏至の日には、太陽が真正面から昇り、神殿の御鏡に光が差し込むことから「朝日の宮」とも称されます。
備前国(びぜんのくに)の一宮です。
昭和3年(西暦1928年)には国幣小社に列しました。
吉備津彦神社
吉備の中山

どちらの神社も、JR備前一宮駅や吉備津駅から徒歩でアクセスできます。
今回は、ガイドさんに教えてもらった「吉備の中山」を抜ける約3kmの道を通りました。
吉備の中山は標高約170mで、備前国と備中国の国境に位置します。
枕草子や古今和歌集にも歌われた名山で、頼山陽(らいさんよう)はその山容が泳ぐコイの姿に似ていることから「鯉山(りざん)」と呼びました。
山中には吉備津彦命の御陵である中山茶臼山古墳もあります。
吉備の中山を守る会
備中国一宮 | 吉備津神社

岡山市北区
本殿・拝殿は全国で唯一の様式で「吉備津造り」と呼ばれ、とても大きな建物です(京都・八坂神社に次ぐ規模とされています)。
境内には、長さ360mにも及ぶ廻廊もあります。
備中国(びっちゅうのくに)の一宮です。
大正3年(西暦1914年)には官幣中社に列しました。
吉備津神社
地図
以上です。