鹿児島県(南薩摩)の神社や史跡を巡りました。

知覧特攻平和会館

南九州市

知覧(ちらん)特攻平和会館は、英霊の遺書や遺品、関連資料、戦闘機を展示しています。
知覧飛行場は、昭和20年(西暦1945年)3月に特別攻撃隊の出撃基地となり、沖縄を護るために多くの特攻隊員がここから出撃しました。
航空特攻とは、爆弾を装着した軍用機で敵艦に体当たりする攻撃です。
沖縄戦の航空特攻では、陸海軍合わせて約2,800名が散華され、そのうち知覧基地から出撃したのは439名にのぼります。特攻隊員の出身地は日本全国にわたります。

会館のそばには、陸軍特別攻撃隊員の英霊1,036柱を慰霊する「特攻平和観音」が安置されています。
また、知覧町の護国神社や慰霊碑もあり、復元された三角兵舎や一式戦闘機「隼」(模型)、T-3(航空自衛隊の練習機の実機)も展示されています。
知覧特攻平和会館

多くの特攻隊員のお世話をして「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさん。
その鳥濱トメさんが営んでいた富屋食堂を再現した資料館も、近くにあります。
特攻の母

歌碑

帰るなき 機をあやつりて 征きしはや
開聞よ母よ さらばさらばと

万世特攻平和祈念館

南さつま市

万世(ばんせい)特攻平和祈念館は、英霊の遺書や遺品、関連資料、戦闘機を展示しています。
万世飛行場には、昭和20年(西暦1945年)3月に陸軍航空部隊が配置されました。
沖縄を護るため、多くの航空兵が万世飛行場から出撃し、振武隊(航空特攻が任務)の121名、その他の部隊(振武隊の掩護や防空任務)の80名が散華されました。
万世特攻平和祈念館

平和祈念展望台

枕崎市

平和祈念展望台は火之神公園内にあり、戦艦大和を旗艦とした第二艦隊の艦船が眠る海域を望むことができます。
第二艦隊は沖縄を守るために出撃しましたが、昭和20年(西暦1945年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で、大和を含む6隻が撃沈され、3,721名が散華されました。
ここから西南西約200km、水深約340mの海底には、潜水調査により以下の艦船が沈んでいることが確認されています。
①戦艦大和、②巡洋艦矢矧、③駆逐艦磯風、④濱風、⑤霞、⑥朝霧
平和祈念展望台

歌碑

祖国のため 命ささげし ともがらの
御霊安かれと 永久に祈らん

花瀬望比公園

指宿市

花瀬望比(はなぜぼうひ)公園は、九州最南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ)の麓にあります。
名前に「望比」とある通り、遥か1,900km南にある比島(フィリピン群島)を望み、対米戦の激戦地となった比島で散華された英霊476,000余柱を慰霊する場所となっています。
慰霊碑の中央にある鉄兜の下には、収集された4,147柱のご遺骨が埋葬されています。

枚聞神社

指宿市

薩摩国一宮

枚聞(ひらきき)神社は、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)=天照大御神をお祀りしています。
神社は北向きに建てられ、本殿の背後には開聞岳がそびえ立っています。
薩摩国の一宮です。
明治4年(西暦1871年)には国幣小社に列しました。
枚聞神社|九州の神社

斎藤茂吉の歌碑

たわやめの 納めまつりし 玉手筥
そのただ香にし わが觸るるごと

開聞岳

指宿市

開聞岳(かいもんだけ)は標高924mの火山で、九州最南端にそびえ、「薩摩富士」とも称されます。
周囲に山がないため、標高以上に大きく見えます。
南方へ航空機で出撃する際には、開聞岳を見ながら海へ飛び立っていったことでしょう。

指宿海軍航空基地跡

指宿市

海軍航空隊の指宿(いぶすき)基地跡は、現在は公園となっており、慰霊碑や防空壕跡が残されています。
指宿基地は水上機の基地で、部隊は索敵訓練や対潜哨戒、船団護衛などの任務に従事していました。
しかし、昭和20年(西暦1945年)4月下旬からは、沖縄を護るために水上機による特攻を開始しました。
この特攻により82名が、また米軍機の邀撃により100名以上が散華されました。
神風特別攻撃隊/指宿基地

その他

  • 薩摩伝承館
  • 長崎鼻

地図

祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝申し上げます。
以上です。