大宰府から宗像へ神社や史跡を巡りました。
大宰府天満宮

太宰府市
天満宮の総本宮
大宰府天満宮は、菅原道真(みちざね)公をお祀りしています。
道真公は、「天に満ちて自在に威徳を示される神」=「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」=「天神さま」として全国で崇敬されています。
道真公は文章、詩歌に優れ、政治においても宇多天皇の信頼を得て、右大臣にまで昇進されました。
藤原時平の策謀により大宰府へと左遷され、大宰府で薨去されました。
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
延喜5年(西暦905年)に、道真公の御遺骸を葬った場所に廟所を建ててその霊をお祀りしたのが神社の創祀です。
境内には、飛梅、御神牛、前出の歌の碑などがあります。
太宰府天満宮は全国の天満宮の総本宮です。
明治28年(西暦1895年)には官幣中社に列しました。
太宰府天満宮(公式)
本殿の改修
令和5年~8年頃までは本殿を改修しています。
ただ、とても美しい仮殿が設けられています。
宝満宮 竈門神社

太宰府市
太宰府鎮護の神
宝満宮 竈門(かまど)神社は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしています。
玉依姫は第1代神武天皇の母君です。
神社の創始は、天智天皇の御代に、九州一円を統治する大宰府政庁の鬼門に当たる竈門山(宝満山)に、神をお祀りしたことに始まると伝えられています。
その後、竈門山で修業していた心蓮上人(しんれんしょうにん)の前に玉依姫命が現れたと云われています。
明治28年(西暦1895年)には官幣小社に列しました。
宝満宮 竈門神社(公式)
宝満山は福岡平野の中央にあって、神聖な山として崇敬されています。九州にある山の中では最も登山者が多いそうです。大宰府天満宮の方から見ると、その山容がカマドのように見えることから、「竈門山」とも呼ばれます。
十六歳の男女が宝満山に登り、これまでの成長に感謝し祈りを捧げる「十六詣り」という行事が毎年行われているそうです。
住吉神社

福岡市博多区
筑前国一宮
住吉神社は住吉三神をお祀りしています。
①底筒男神(そこつつのをのかみ)
②中筒男神(なかつつのをのかみ)
③表筒男神(うわつつのをのかみ)
住吉三神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が泉国(よもつくに)から戻られて、海で禊祓(みそぎはらえ)をした時に生まれた神様です。
住吉神社のある場所は、その禊祓をして住吉三神の生まれた場所だと云われています。
大阪の住吉大社、下関の住吉神社とともに日本三大住吉と呼ばれています。
大正14年(西暦1925年)には官幣小社に列しました。
住吉神社(公式)
住吉神社|九州の神社
福岡懸護国神社

福岡市中央区
英霊に感謝
福岡縣護国神社は、明治戊辰の役以来国難に殉じた福岡県出身の英霊約13万柱をお祀りしています。
福岡城跡の近くです。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝の誠を捧げました。
福岡懸護国神社
筥崎宮

福岡市東区
筥松
筥崎宮(はこざきぐう)は、
①応神(おうじん)天皇=誉田別命(ほむだわけのみこと)=八幡大神(はちまんおおかみ)
②神功(じんぐう)皇后=気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
③玉依姫命(たまよりひめのみこと)
の三柱をお祀りしています。
第15代応神天皇は、霊験あらたかで、八幡大神、八幡大菩薩として全国でお祀りされています。
祖父君は日本武尊(やまとたけるのみこと)、父君は第14代仲哀(ちゅうあい)天皇、御子は第16代仁徳天皇です。
神功皇后は応神天皇の母君で、お腹に御子(後の応神天皇)を宿したまま軍船を率いて新羅に向かい、三韓を征伐なさいました。
玉依姫は第1代神武天皇の母君です。
楼門そばの御神木は、応神天皇がお生まれになった時の胞衣(えな)(胎盤など)を筥に納めて埋めた標しに植えた松で、「筥松(はこまつ)」「標(しるし)の松」と呼ばれています。
「筥崎」という名前は、筥松のある岬(崎)に由来すると云われています。
千早振る 神代に植えし 箱崎の
松は久しき 標しなりけり
敵国降伏
楼門には「敵国降伏」の扁額(へんがく)が掲げられています。
醍醐(だいご)天皇の御代に石清水八幡宮で八幡大神の神託があり、筥崎宮に「敵国降伏」の御宸筆(ごしんぴつ)を納めたことが由来です。
今の扁額は、蒙古襲来で焼失した社殿を再建するにあたり、亀山上皇が納めた御宸筆を謹写・拡大したもので、くにがまえの中に草書体の「武」という字が書かれています。
世のために 身をば惜しまぬ 心とも
あらぶる神は 照し見るらむ
境内には、亀山上皇の像、モンゴル軍の船の碇などがあります。
大正3年(西暦1914年)には官幣大社に列しました。
筥崎宮(公式)
筥崎宮|九州の神社
香椎宮

福岡市東区
三韓征伐
香椎宮(かしいぐう)は、
①仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)=足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
②神功皇后(じんぐうこうごう)=気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
の夫婦二柱をお祀りしています。
第14代仲哀天皇は日本武尊(やまとたけるのみこと)の御子です。
仲哀天皇と神功皇后は熊襲征伐のために筑紫(つくし)に赴かれました。
その行宮(あんぐう)が橿日宮(かしひのみや)です。
仲哀天皇は、新羅を討てとの神託に従わずに熊襲を攻めて敗れ、半年後にここで崩御されます。
神功皇后は、再び受けた神託に従い、お腹に御子(後の応神天皇)を宿したまま、軍船を率いて新羅に向かいます。
すると、新羅は戦わずして降伏し、朝貢を約束。それを聞いた高麗と百済も朝貢を約束します。
神功皇后は帰国してすぐに御子をお生みになりました。
今その場所には宇美八幡宮が鎮座しています。
神社の創祀は、橿日宮に神功皇后自ら仲哀天皇を祀る祠を建てたことに始まると伝えられています。
後にその傍らに大廟が造営され、両宮併せて香椎廟と称されました。
神功皇后が「とこしえに本朝(みくに)を鎮め護るべし」と祈りをこめて植えた杉を、御神木としてお祀りしています。
ちはやぶる 香椎の宮の あや杉は
神のみぞぎに たてる成けり
また、仲哀天皇大本營御舊蹟の碑や、軍艦香椎顕彰之碑などがあります。
明治18年(西暦1885年)には官幣大社に、大正13年(西暦1924年)には勅祭社に列しました。
宗像大社

宗像市
宗像神社の総本社
宗像(むなかた)大社は宗像三女神をお祀りしています。
①田心姫神(たごりひめのかみ)
②湍津姫神(たぎつひめのかみ)
③市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
三女神は、天照大神(あまてらすおおかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)によって生み出された神々です。
天照大神の神勅によって、宗像に降臨されました。
三女神は、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(本土)にそれぞれ祀られ、この三宮の総称が宗像大社です。
三宮は直線に並んでいて、その延長線上に朝鮮半島があります。
宗像三女神は「道」の神様として崇敬されています。
神功皇后や遣唐使も、航海の安全を願って、その途中に参拝なさったそうです。
宗像大社は宗像神社の総本社です。
市杵島姫神は、民間信仰として広まった弁才天と習合した為に、宗像大社は弁天社や弁才天社の総本宮とも云われます。
明治34年(西暦1901年)には官幣大社に列しました。
宗像大社
天の石屋戸神話が示す「出口が見えない暗黒」からの脱出法 – 國學院大學
海の正倉院
沖津宮(おきつみや)のある沖ノ島ではかつて、国家による祭祀が執り行われていて、たくさんの祭祀遺物が発見されています。その数は8万点にもおよび、沖ノ島は海の正倉院とも呼ばれています。
祭祀遺物は、辺津宮(へつみや)の神宝館で展示されています。
沖ノ島 森のしげみの 岩かげに
千歳ふりにし 神祭りのあと
宗像護国神社

宗像市
辺津宮の境内にあります。2,576柱の英霊をお祀りしています。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝の誠を捧げました。
その他
- 志賀海神社
- 宇美八幡宮
- 宮地嶽神社
- 元寇資料館
- 福岡城跡
- 櫻井神社
- 九州国立博物館
地図
以上です。