茨城と千葉の県境にある神社を巡りました。

鹿島神宮

鹿島神宮は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお祀りしています。
武甕槌神は、剣の切っ先を上に向けて、その上に胡坐をかいて、大国主神に国譲りを迫った神様です。
鹿島神社の総本社で、旧社格は官幣大社です。
鹿島神宮

香取神宮

香取神宮は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)をお祭りしています。
経津主神は武甕槌神と共に、大国主神に国譲りを迫った神様です。
香取神社の総本社で、旧社格は官幣大社です。
香取神宮

息栖神社

息栖(いきす)神社は久那斗神(くなどのかみ)をお祭りしています。
鹿島神宮、香取神宮とともに東國三社と呼ばれ、古くから信仰を集めています。
旧社格は県社です。
息栖神社

小御門神社

千葉県にある小御門(こみかど)神社は藤原師賢(もろかた)公をお祀りしています。
藤原師賢公は後醍醐天皇の側近として仕えた方です。
旧社格は別格官幣社です。
小御門神社

鎌倉時代末期。藤原師賢公は清華家の家格を有する花山院家にお生まれになりました。公は若くして、気概に富み、学問が深く、後醍醐天皇は殊のほか寵愛なされました。
元弘の変(一三三一年)では、後醍醐天皇の身代わりとなり、比叡の山に登り幕府軍を迎え討ちます。「小御門」と呼ばれる所以です。そして、幾度の激戦の末、六波羅探題に捕らえられ、下総国香取郡名古屋へと配流され、この地にて薨去されました。
その後、後醍醐天皇の建武中興に尽くした、南朝側の皇族、武将など国家に功績を挙げた忠臣を称え、明治十五年、明治天皇は国の守り神として小御門神社を創建せられ、別格官幣社に列せられました。後醍醐天皇と忠臣をお祀りする神社を「建武中興十五社」といいます。
引用:境内の掲示より

地図

以上です。