成田から鹿島へ神社を巡りました。

鹿島神宮

茨城県鹿嶋市

国家鎮護の軍神

鹿島神宮は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお祀りしています。
武甕槌神は、剣の切っ先を上に向けて、その上に胡坐をかいて、大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを迫った神様です。

神社の創祀は、神武天皇の御即位の年に武甕槌大神をこの地に勅祭されたことに始まると伝えられています。
国家鎮護の軍神として崇敬されています。

鹿島神社の総本社で、常陸国の一宮です。
明治4年(西暦1871年)には官幣大社に列しました。
鹿島神宮

香取神宮

千葉県香取市

国家鎮護の軍神

香取神宮は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)をお祭りしています。
経津主神は武甕槌神と共に、大国主神に国譲りを迫った神様です。

神社の創建は、神武天皇18年と伝えられています。
水郷地帯に鎮座する香取神宮は、漁業・舟運の神としても崇敬されています。

香取神社の総本社で、下総国の一宮です。
明治4年(西暦1871年)には官幣大社に列しました。
香取神宮

息栖神社

茨城県神栖市

東國三社

息栖(いきす)神社は久那斗神(くなどのかみ)をお祭りしています。
厄除招福、交通守護、井戸の神として崇敬されています。

神社の創建は、応神天皇の御代と伝えられています。
鹿島神宮、香取神宮とともに東國三社と呼ばれています。
息栖神社

小御門神社

千葉県成田市

身代わりの神

千葉県にある小御門(こみかど)神社は藤原師賢(もろかた)=花山院師賢公をお祀りしています。
師賢公は後醍醐天皇の側近として仕えました。
元弘の変(西暦1331年)では後醍醐天皇の身代わりとなり幕府軍と戦いました。

建武中興十五社の一つです。
明治12年(西暦1879年)に明治天皇から神社創建の許可と社号を賜ります。
明治15年(西暦1882年)に社殿が造営され、別格官幣社に列しました。
小御門神社

鎌倉時代末期。藤原師賢公は清華家の家格を有する花山院家にお生まれになりました。公は若くして、気概に富み、学問が深く、後醍醐天皇は殊のほか寵愛なされました。
元弘の変(一三三一年)では、後醍醐天皇の身代わりとなり、比叡の山に登り幕府軍を迎え討ちます。「小御門」と呼ばれる所以です。そして、幾度の激戦の末、六波羅探題に捕らえられ、下総国香取郡名古屋へと配流され、この地にて薨去されました。
その後、後醍醐天皇の建武中興に尽くした、南朝側の皇族、武将など国家に功績を挙げた忠臣を称え、明治十五年、明治天皇は国の守り神として小御門神社を創建せられ、別格官幣社に列せられました。後醍醐天皇と忠臣をお祀りする神社を「建武中興十五社」といいます。
引用:境内の掲示より

藤原師賢

思ひかね 入りにし山を たち出でて
迷ふ憂世も ただ君のため

その他

  • 櫻花公園

地図

以上です。