鹿児島県(霧島・姶良)の神社や史跡を巡りました。

霧島神宮

霧島市

天孫が降り立った霊峰の麓

霧島(きりしま)神宮は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をお祀りしています。
瓊瓊杵尊は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で、「天孫降臨」のお話に出てくる神様です。
天照大神から天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅を授かり、大八洲(おおやしま)に降臨されました。
天壌無窮の神勅の主意は、日本は万世一系の天皇を戴き、天地(あめつち)とともに、窮みなく栄えるだろう、といったところでしょうか。
第1代神武天皇は、瓊瓊杵尊の曾孫にあたります。

神社の背後には、天孫降臨の地とされる霊峰高千穂峰が聳え立ちます。
明治の前は、西御在所霧島権現と称していました。
明治7年(西暦1874年)には官幣大社に列しました。

霧島神宮(公式)
霧島神宮|九州の神社
地上の世界に稲の実りをもたらした「天孫降臨」 – 國學院大學

鹿児島神宮

霧島市

山幸彦ゆかりの地、鹿児島発祥の地

鹿児島神宮は、
①彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
②豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
の夫婦二柱をお祀りしています。
彦火火出見命は、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)と木花咲屋姫命(このはなさくやひめのみこと) の間に生まれた御子で、海幸山幸神話の山幸彦の方です。
第1代神武天皇は、彦火火出見命の孫にあたります。

彦火火出見命の皇居「高千穂宮」が、本宮の北側にあったと伝えられています。
「鹿児島」という地名は彦火火出見命の故事に由来しているそうで、鹿児島神宮は鹿児島発祥の地と云われています。

本殿はとても大きくて、全体が彫刻や絵画で装飾されています。
明治の前は、大隅正八幡(おおすみしょうはちまん)と称していました。
大隅國(おおすみのくに)の一宮です。
明治28年(西暦1895年)には官幣大社に列しました。

鹿児島神宮(公式)
鹿児島神宮|九州の神社
「日向三代」がつなぐ天上・地上の絆 – 國學院大學

十三塚原(第二国分)基地の特攻慰霊碑

霧島市

十三塚原は「じゅうさんつかばる」、国分は「こくぶ」と読みます。
海軍航空隊の第一国分基地は、今の陸上自衛隊の国分駐屯地の場所にありました。
第二国分基地(十三塚原)は、今の鹿児島空港の辺りにありました。
元々あった航空要員の教育部隊は、昭和20年(西暦1945年)3月1日に観音寺海軍航空隊へ移りました。
そして3月18日から6月3日までの間に、沖縄を護る為に両基地から特攻隊が16回出撃して、427名が散華されました。
第一国分基地の慰霊碑は、国分駐屯地の前にあります。
第二国分基地の慰霊碑は、鹿児島空港を見下ろせる上床(うわと)公園の中にあります。
上床公園には、海底から引き上げられた零戦のプロペラや、航空自衛隊の救難捜索機 T-34Aが展示されています。
また、鹿児島空港の側には、十三塚原特攻記念館があります。

国分海軍航空隊
神風特別攻撃隊/国分基地

高屋山上陵

霧島市

高屋山陵(たかやさんりょう)、もしくは高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)と呼ぶそうです。
写真は、第二国分基地の慰霊碑の側にある、斎藤茂吉の歌碑です。
御陵(ごりょう/みささぎ)は、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)の御陵で、この歌碑から1kmほど離れたところにあります。
彦火火出見命は、鹿児島神宮の御祭神としてお祀りされています。
斎藤茂吉は、昭和14年(西暦1939年)10月6日に御陵を訪れ、8首の歌を詠みました。
その中から選ばれた1首が、歌碑に刻まれています。

斎藤茂吉の歌碑

ひむがしの 空にあきらけき 高千穂の
峰に直向ふ みささぎぞこれ

その他

  • 特攻機発進之地碑(第一国分基地跡)
  • 十三塚原特攻記念館

地図

祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝申し上げます。
以上です。