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西宮/神戸の神社めぐり|廣田神社/湊川神社など

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西宮/神戸の神社めぐり|廣田神社/湊川神社など
兵庫県の西宮市/神戸市を訪れ、神社や史跡を巡りました。
神功皇后ゆかりの古社である廣田神社/生田神社/長田神社と、楠木正成公をお祀りする湊川神社などを紹介します。

廣田神社

「廣田神社」の社号標と木の鳥居が並ぶ参道
西宮市

神功皇后ゆかりの古社

廣田(ひろた)神社は、
①撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
=天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂(あらみたま)=廣田大神
をお祀りしています。
荒魂(あらみたま)は強く勇ましい御魂、和魂(にぎみたま)は優しく穏やかな御魂をいい、古代より神霊はこの二つの御霊のはたらきによって成り立つと考えられていました。
三韓征伐からの帰路、海路をたどる神功皇后(じんぐうこうごう)に対し、都では忍熊王(おしくまのみこ)が謀反を企てていました。
その動きを察知した神功皇后は難波を目指しますが、途中で船が進まなくなってしまいます。
そこで、務古水門(むこのみなと)(現在の兵庫県武庫川河口付近)へと回り、神意を伺うと、天照大神から「荒魂は皇居の近くに祀るべきではなく、廣田の国に祀るべし」との託宣がありました。
神功皇后がその託宣に従って山背根子(やましろのねこ)の娘・葉山媛(はやまひめ)に命じて荒魂をお祀りすると、船は再び進み始め、忍熊王を撃退できたと伝えられています。
これが廣田神社の創始です。
またこのとき、稚日女尊(わかひるめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、住吉三神からも託宣が下され、神功皇后は祭祀を執り行うようお命じになりました。
これが生田神社、長田神社、住吉大社の創始と伝えられています。

西宮と称された社

廣田神社は、京の都の西にある特別な社として「西宮」と呼ばれました。
やがてこの「西宮」は、廣田神社の荘園一帯を指すようになり、その名前は現在の西宮市にも受け継がれています。
明治4年(西暦1871年)には官幣大社に列しました。
廣田神社(公式サイト)

西宮神社

「西宮神社」の社号標と石の鳥居、奥に見える朱塗りの門
西宮市

えびす神社の総本社

西宮神社は、えびす大神=蛭児大神(ひるこおおかみ)をお祀りしています。
記紀では、蛭児は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の「国生み」において最初に生まれた島であり、葦の船に乗せて流し去ったと記されています。
「えびす」という神名は記紀には登場せず、「夷」や「戎」などの漢字があてられ、古くは異郷の神として捉えられてきました。
西宮に伝わる伝承では、かつて神戸の和田岬沖で漁師が網にかかった御神像を引き上げ、一度は海に戻したものの、再び網にかかったため、これを神の御意志と受け止めて持ち帰り祀ったとされています。
その後、漁師の夢に御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。西の地に良き宮地がある。そこへ遷して祀ってほしい」とのお告げがあり、神様を西へお連れしたところ、たどり着いたのが現在の西宮であったと伝えられています。
このような伝承から、西宮神社ではえびす様と蛭児大神を同一の神として崇敬しています。
もとは漁業の神様として信仰されていましたが、やがて商売繁盛の神様としても信仰されるようになります。
えびす信仰は、七福神の一柱として、また西宮神社の御神影札(おみえふだ)を通じて全国に広まりました。
右手に釣竿、左手に鯛を抱えた姿で、「えべっさん」などと呼ばれ、多くの人々に親しまれています。
西宮神社は、えびす神社の総本社です。
毎年1月9日から11日にかけて行われる「十日えびす」には、約100万人の参拝者が訪れます。なかでも、10日早朝に執り行われる「福男選び」は有名な神事です。
かつては廣田神社の末社「戎社」として、別宮の浜南宮に鎮座していましたが、明治5年(西暦1872年)に分離・独立し、その後「西宮神社」と改称しました。
阪神西宮駅の近くにあります。
西宮神社(公式サイト)

兵庫縣神戸護国神社

「兵庫縣神戸護國神社」の社号標と石段
神戸市灘区

英霊に感謝

兵庫縣神戸護国神社は、明治戊辰の役以来国難に殉じた兵庫県東部(丹波、摂津、淡路)出身の英霊約53,300柱をお祀りしています。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝の誠を捧げました。
兵庫縣神戸護国神社(公式サイト)

生田神社

朱塗りの楼門が立つ生田神社の入口
神戸市中央区

神功皇后ゆかりの古社 その2

生田神社は、稚日女尊(わかひるめのみこと)をお祀りしています。
稚日女尊は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の幼名、または和魂(にぎみたま)、あるいは妹神とも云われています。
神功皇后(じんぐうこうごう)は三韓征伐からの帰路に務古水門(むこのみなと)で、稚日女尊から「吾は活田長峡國(いくたのながおのくに)に居りたい」との託宣を受けました。
神功皇后はその託宣に従って、海上五十狭茅(うながみのいさち)に命じて稚日女尊をお祀りし、これが生田神社の創始となりました。
明治29年(西暦1896年)には、官幣中社に列しました。
JR三宮駅の近くにあります。
生田神社(公式サイト)

神戸港

青い海の向こうに神戸ポートタワーが見える神戸港
神戸市中央区

時代を映す港

「日本書紀」には、神功皇后が三韓征伐の帰路に務古水門(むこのみなと)(現在の兵庫県武庫川河口付近)に船で訪れたことが記されています。
奈良・平安時代には大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ、近畿から中国・九州へ向かう航路の船泊りとなっていました。摂津・播磨國にある五つの港を指す摂播五泊(せっぱんごはく)の一つで、港の整備は行基によって行われたと伝えられています。
平安時代末期には、平清盛が日宋貿易の拠点として大輪田泊を大規模に改修し、防波堤として経ヶ島(きょうがしま)を築造しました。経ヶ島は日本で最初の人工島と云われています。
鎌倉時代以降は兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれ、室町時代には日明貿易、江戸時代には北海道・東北の日本海沿岸と近畿を結ぶ北前船(きたまえぶね)の発着港となりました。
明治元年(西暦1868年)に兵庫港が開港し、明治25年(西暦1892年)に「神戸港」と改称しました。

明治以降の、主な工事の竣工年

大正11年(西暦1922年) 新港第1~第4突堤(西)他
昭和14年(西暦1939年) 新港第4(東)~第6、中、兵庫第1、2突堤他
昭和38年(西暦1963年) 神戸ポートタワー
昭和56年(西暦1981年) ポートアイランド
平成4年(西暦1992年) 六甲アイランド
平成18年(西暦2006年) 神戸空港
昭和20年(西暦1945年)に港湾施設などを米軍に接収されましたが、昭和44年(西暦1969年)にその接収は全面解除されました。
平成7年(西暦1995年)の阪神・淡路大震災では甚大な被害を受けましたが、2年で復旧が完了して、現在も発展を続けています。
「PORT OF KOBE」の文字がある芝生の広場と港の建物

湊川神社

「湊川神社」の社号標と、奥に見える拝殿
神戸市中央区

七生滅賊(しちしょうめつぞく)

湊川(みなとがわ)神社は、楠木正成(くすのきまさしげ)公=大楠公(だいなんこう)をお祀りしています。
楠木正成公は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将で、後醍醐(ごだいご)天皇の倒幕計画に参加しました。元弘元年(西暦1331年)、笠置山(かさぎやま)で天皇に召され、国のために尽くすことを誓います。
下赤坂城で幕府軍と戦い、敗北を装って落ち延びた後、千早城で再起。わずか千人の兵で数万の幕府軍を翻弄し、鎌倉幕府崩壊の契機をつくりました。
元弘3年(西暦1333年)に鎌倉幕府は滅亡し、翌年正月には「建武」と改元され、後醍醐天皇による親政・建武中興(けんむのちゅうこう)が始まります。
建武2年(西暦1335年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が反乱を起こすと、正成公らはこれを討ち、尊氏を一時九州へ敗走させました。しかし、尊氏は九州で体制を立て直し、再び東上します。正成公は朝廷の軍議で建議しますが、それは容れられず、やむなく兵庫へ向かうこととなります。途中、桜井の駅で嫡男・正行(まさつら)公に後事を託し、延元元年(西暦1336年)湊川で奮戦の末、弟・正季(まさすえ)公と共に「七生滅賊(七度生まれ変わっても同じ人間として生まれ、朝敵を討ち滅ぼす)」の誓いを立て、刺し違えて壮烈な最期を遂げました。

嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)

木立に囲まれた楠木正成公の墓所
湊川の戦いの後、楠木正成公の墓は地元の人々にひそかに守られてきましたが、豊臣秀吉の太閤検地によってその所在が明らかになりました。
寛永20年(西暦1643年)には尼崎藩主の青山幸利公が五輪塔を、元禄5年(西暦1692年)には徳川光圀(みつくに)公が墓碑を建てました。
明治5年(西暦1872年)には、墓碑のある場所に湊川神社が創建されて、別格官幣社に列しました。
明治天皇
あた波を ふせぎし人は みなと川
神となりてぞ 世を守るらむ
JR神戸駅の近くにあります。
湊川神社(公式サイト)
ちなみに、楠正行公は大阪の四條畷神社にお祀りされています。
四條畷神社(公式サイト)

長田神社

木の鳥居と石灯籠が並ぶ長田神社の参道
神戸市長田区

神功皇后ゆかりの古社 その3

長田(ながた)神社は、事代主神(ことしろぬしのかみ)をお祀りしています。
事代主神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の御子です。
建御雷神(たけみかづちのかみ)が国譲りの交渉に訪れた際に、大国主神はその返答を事代主神に委ねました。事代主神は葦原中国(あしはらのなかつくに)を天孫に献上する旨を申し上げたと伝えられています。
また、事代主神は天神(あまつかみ)に服属する諸神を統率する神としても、大国主神から名を挙げられています。
恵比寿神(えびすさま)と同一視されることも多い神様です。
神功皇后(じんぐうこうごう)は三韓征伐からの帰路に務古水門(むこのみなと)で、事代主神から「吾を御心長田の国に祠れ」との託宣を受けました。
神功皇后はその託宣に従って、山背根子(やましろのねこ)の娘・長媛(ながひめ)に命じて事代主神をお祀りし、これが長田神社の創始となりました。
明治29年(西暦1896年)には官幣中社に列しました。
長田神社(公式サイト)

その他

  • 清盛塚
  • 和田神社
  • 門戸厄神
  • 甲子園球場
  • 六甲山
  • 神戸布引ハーブ園

地図

モデルコース

記事で紹介した場所を、新神戸駅でレンタカーを借りて回る想定で、移動の少ない順に並べたモデルコースです。
兵庫縣神戸護国神社から西宮の2社へ向かい、神戸港/湊川神社/長田神社を回って、新神戸駅に近い生田神社で終わります。
  1. 新神戸駅(レンタカーを借りる)
  2. 車で約10分
  3. 兵庫縣神戸護国神社
    見学 約20分
  4. 車で約30分
  5. 廣田神社
    見学 約30分
  6. 車で約10分
  7. 西宮神社
    見学 約30分
  8. 車で約30分
  9. 神戸港
    見学 約45分
  10. 車で約5分
  11. 湊川神社
    見学 約30分
  12. 車で約10分
  13. 長田神社
    見学 約30分
  14. 車で約15分
  15. 生田神社
    見学 約30分
  16. 車で約5分
  17. 新神戸駅(レンタカーを返す)
合計の目安
約5時間30分
移動 約1時間55分/見学 約3時間35分
移動時間は車での目安です。道路や駐車場の混雑で変わります。
以上です。
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