栃木県の神社や史跡を巡りました。

日光

日光東照宮

日光市

日光東照宮は、徳川家康公をお祀りしています。
家康公は、五大老の筆頭となり、関ヶ原の戦いに勝利して、264年も続く江戸幕府の礎を築かれました。
境内には、五重塔、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫刻された厩、きらびやかな装いの陽明門などがあります。
日光東照宮

日光二荒山神社

日光市

日光二荒山(ふたらさん)神社は、二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)をお祀りしています。
二荒山大神は、
①大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)
②そのお妃の田心姫命(たごりひめのみこと)(宗像三女神の一柱)
③その間に生まれた味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
の親子三柱の総称です。
二荒山(男体山)をご神体としてお祀りしています。
日光二荒山神社

日光山輪王寺

日光市

日光山輪王寺(にっこうざん りんのうじ)は天台宗の寺院で、本堂である「三仏堂(さんぶつどう)」は東日本で最も大きな木造建築物だそうです。
三代将軍家光公の霊廟である大猷院(たいゆういん)、慈眼大師(天海大僧正)の霊廟である慈眼堂など、立派なお堂がたくさんあります。
日光山輪王寺

平和観音

宇都宮市

平和観音は、大谷石(おおやいし)の採石場跡にあります。
第二次世界大戦の戦没者を弔い、世界平和を祈念する為に作られました。
城山村出身の戦没者を慰霊する塔も側にあります。
大谷寺

大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93メートル(88尺8寸8分)の高さで、第二次世界大戦による戦没者の霊を弔い、世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立(おまえだて)として彫刻されたものです。
戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援のもとに、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏が彫刻を手がけ、その指導のもと、昭和29年12月に完成しました。
昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえたっています。
引用:掲示より

栃木縣護国神社

宇都宮市

栃木縣護国神社は、明治戊辰の役以来国難に殉じた栃木県出身の英霊55,300余柱をお祀りしています。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝の誠を捧げました。
栃木縣護国神社

御製

広芝を うむる人群 旗持ちて
振る音聞ゆ 今日のよき日を

宇都宮二荒山神社

宇都宮二荒山神社

宇都宮市

宇都宮二荒山(ふたらやま)神社は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)をお祀りしています。
第十代崇神天皇の皇子で、東国を治めて、上毛野国(かみつけのくに)・下毛野国(しもつけのくに)の豪族である毛野氏の祖となりました。
下野国(しもつけのくに)の一宮です。
御祭神は武徳にも優れていて、藤原秀郷(ひでさと)公は二荒山神社で戦勝を祈願して霊剣を授かり、平将門(たいらのまさかど)との戦に挑まれました。
二荒山神社

唐澤山

唐澤山神社

佐野市

唐澤山(からさわやま)神社は、藤原秀郷(ひでさと)公をお祀りしています。
藤原秀郷公は天慶(てんぎょう)3年(西暦940年)、東国で反乱を起こした平将門(たいらのまさかど)を成敗したことで名を馳せました。
その殊勲が認められて、下野(しもつけ)守と武蔵守を兼任なさり、また後には鎮守府将軍もお務めになりました。
その武勇ゆえに、「俵(田原)藤太(たわらのとうた)」の名で「百足退治」などの伝説にも登場する人物です。
唐澤山城は、藤原秀郷公が築いたとする伝承が古くから地元にあるそうです。
唐澤山神社は明治13年(西暦1880年)、有志の働きかけにより唐沢山城の本丸跡に創建され、明治23年(西暦1890年)には別格官幣社に列しました。
唐澤山神社

天狗岩

佐野市

唐沢山城跡の入り口にある天狗岩の上からは市街を眺望できて、遠くに浅間山や赤城山を見ることが出来ます。
また、社務所の前からは遠くに富士山を見ることが出来て、スカイツリーが見えることもあるそうです。
山頂の標高は242mで、田沼駅から歩いても一時間ほどで山頂まで行けます。

その他

  • 華厳滝
  • 中禅寺湖
  • 大谷寺
  • 大谷資料館
  • 日光江戸村

地図


以上です。