鹿児島県の大隅地方で、海軍航空隊の基地跡を中心に慰霊碑や史跡を巡りました。
鹿屋航空基地資料館/特攻隊戦没者慰霊塔/串良平和公園/芙蓉之塔など、沖縄を護るために出撃した英霊を慰霊する場所を写真で紹介します。
鹿屋航空基地資料館/特攻隊戦没者慰霊塔/串良平和公園/芙蓉之塔など、沖縄を護るために出撃した英霊を慰霊する場所を写真で紹介します。
鹿屋基地
鹿屋航空基地資料館
鹿屋市
鹿屋(かのや)航空基地資料館は、海上自衛隊の鹿屋航空基地にあります。
かつて海軍航空隊の鹿屋基地があった場所です。
資料館の中は、①海軍航空隊に関すること(英霊の遺書や遺品、関連資料、戦闘機)と、②海上自衛隊に関すること(災害派遣、周辺海域の監視、海外派遣任務など)を展示しています。
資料館の外は、引退した航空機をたくさん展示していて、また慰霊碑などもあります。
実物の航空機の大きさに圧倒されます。
鹿屋航空基地資料館
かつて海軍航空隊の鹿屋基地があった場所です。
資料館の中は、①海軍航空隊に関すること(英霊の遺書や遺品、関連資料、戦闘機)と、②海上自衛隊に関すること(災害派遣、周辺海域の監視、海外派遣任務など)を展示しています。
資料館の外は、引退した航空機をたくさん展示していて、また慰霊碑などもあります。
実物の航空機の大きさに圧倒されます。
鹿屋航空基地資料館
特攻隊戦没者慰霊塔
鹿屋市
特攻隊戦没者慰霊塔は、鹿屋航空基地資料館から1kmほど離れた小塚(こつか)公園にあります。
昭和20年(西暦1945年)3月11日から6月26日までの間に、沖縄を護る為に鹿屋基地から多くの特攻隊員が出撃して、908名が散華されました。
昭和20年(西暦1945年)3月11日から6月26日までの間に、沖縄を護る為に鹿屋基地から多くの特攻隊員が出撃して、908名が散華されました。
歌碑
今日もまた 黒潮おどる 南洋に
とびたちゆきし 友はかえらず
とびたちゆきし 友はかえらず
桜花の碑
桜花の碑は、鹿屋航空基地資料館から2kmほど離れた野里国民学校跡にあります。
桜花作戦を行った神雷部隊は、野里国民学校を宿舎としていました。
神雷部隊は茨城県で編成された部隊で、鹿嶋市の櫻花公園にも桜花の慰霊碑が建っています。
桜花作戦は、桜花(航空機)に1200kgの爆弾を搭載して、一式陸上攻撃機の腹部に吊して運び、特攻隊員1人が乗ったまま上空で機体を切り離して敵艦に体当たりする、という作戦でした。
しかしながら、速度の低下した一式陸上攻撃機を敵機は標的とし、桜花を切り離す前に多くが撃墜されました。
桜花作戦を行った神雷部隊は、野里国民学校を宿舎としていました。
神雷部隊は茨城県で編成された部隊で、鹿嶋市の櫻花公園にも桜花の慰霊碑が建っています。
桜花作戦は、桜花(航空機)に1200kgの爆弾を搭載して、一式陸上攻撃機の腹部に吊して運び、特攻隊員1人が乗ったまま上空で機体を切り離して敵艦に体当たりする、という作戦でした。
しかしながら、速度の低下した一式陸上攻撃機を敵機は標的とし、桜花を切り離す前に多くが撃墜されました。
串良平和公園
鹿屋市
串良(くしら)平和公園は、海軍航空隊の串良基地跡を整備した公園です。
串良基地は、教育航空隊として開隊され、昭和19年(西暦1944年)4月に実戦部隊に編入、昭和20年(西暦1945年)3月から特別攻撃隊の出撃基地となりました。
沖縄を護る為に串良基地から多くの航空兵が出撃して、特攻隊の363名、特攻以外の攻撃隊の210名が散華されました。
公園には大きな慰霊塔があり、また慰霊碑もたくさん建っています。
滑走路跡の直線道路は、桜の名所になっています。
公園から少し離れたところには、地下壕第一電信室があります。
ドラマ「永遠の0」のロケ地にもなったそうです。
鹿屋に残る戦跡
神風特別攻撃隊/串良基地
串良基地は、教育航空隊として開隊され、昭和19年(西暦1944年)4月に実戦部隊に編入、昭和20年(西暦1945年)3月から特別攻撃隊の出撃基地となりました。
沖縄を護る為に串良基地から多くの航空兵が出撃して、特攻隊の363名、特攻以外の攻撃隊の210名が散華されました。
公園には大きな慰霊塔があり、また慰霊碑もたくさん建っています。
滑走路跡の直線道路は、桜の名所になっています。
公園から少し離れたところには、地下壕第一電信室があります。
ドラマ「永遠の0」のロケ地にもなったそうです。
鹿屋に残る戦跡
神風特別攻撃隊/串良基地
芙蓉之塔(岩川基地跡)
曽於市
芙蓉(ふよう)之塔は、海軍航空隊の岩川基地跡にあります。
芙蓉部隊は、静岡県の藤枝基地で夜間戦闘部隊として編制されました。
昭和20年(西暦1945年)3月末に主力を鹿屋基地へ移し、4月から8月まで沖縄を護る為に出撃を繰り返しました。(5月中旬以降は、岩川基地から出撃しています。)
部隊の105名が散華されました。
芙蓉之塔
芙蓉部隊は、静岡県の藤枝基地で夜間戦闘部隊として編制されました。
昭和20年(西暦1945年)3月末に主力を鹿屋基地へ移し、4月から8月まで沖縄を護る為に出撃を繰り返しました。(5月中旬以降は、岩川基地から出撃しています。)
部隊の105名が散華されました。
芙蓉之塔
美濃部正 海軍少佐(航空自衛隊空将)の挽歌
高千穂の 峰を護りて 散りし吾子
永久に安かれ 山影あかし
永久に安かれ 山影あかし
美濃部正 海軍少佐(航空自衛隊空将)の挽歌
背の君は 南に消えて 若き妻
日向の国なる 山路けわし
日向の国なる 山路けわし
道の駅「たるみず」
垂水市
幕末、西欧列強が東アジアに進出してきた時代に、島津家二十八代当主島津斉彬公は「海から来る敵は海で防ぐべきである」と考え、桜島の瀬戸・有村、垂水の牛根に造船所を設け、洋式軍艦の建造に取り組まれました。また嘉永六年(一八五三)、ペリー艦隊が浦賀に来航し、幕府が海防の必要性に気づくと、幕府に大船建造の解禁と、軍艦十五艘の建造を願い出られました。そして瀬戸で昇平丸、有村で大元丸・承天丸、牛根で鳳瑞丸・万年丸が建造されました。引用:「国旗日の丸ふるさと」の碑より
軍艦建造は五艘で終わりましたが、大隅半島と桜島の間の海峡のこの地は、日本における近代造船発祥の地となりました。
また、斉彬公は、昇平丸の建造中、大船建造の解禁を願い出られた際、日本の船と外国の船を区別するため白地に赤い「日の丸」を掲げるように幕府に提案されています。これを受けて、翌安政元年(一八五四)七月十一日、幕府は「日の丸」を日本の総船印と定め、安政二年(一八五五)春、幕府に献上するために鹿児島を出航した昇平丸に日本総船印としての「日の丸」が掲げられ、万延元年(一八六〇)には国旗へ昇格したのです。
大隅半島と桜島の間の海峡は、”国旗「日の丸」のふるさと”でもあるのです。
その他
- 吾平山上陵(あいらさんりょう)
- 有村溶岩展望所
- 「神州不滅」の碑
- 桜島海軍基地跡
- 神武天皇御出航碑
- 都城特攻振武隊はやて慰霊碑(宮崎県)
地図
モデルコース
記事で紹介した場所を、鹿児島空港でレンタカーを借りて回る想定で、移動の少ない順に並べたモデルコースです。
曽於市の芙蓉之塔から串良/鹿屋を回り、桜島を望む道の駅「たるみず」に寄って空港に戻ります。
曽於市の芙蓉之塔から串良/鹿屋を回り、桜島を望む道の駅「たるみず」に寄って空港に戻ります。
- 鹿児島空港(レンタカーを借りる)
- 車で約90分
-
芙蓉之塔(岩川基地跡)見学 約15分
- 車で約45分
-
串良平和公園見学 約20分
- 車で約30分
-
鹿屋航空基地資料館見学 約1時間
- 車で約10分
-
特攻隊戦没者慰霊塔見学 約15分
- 車で約5分
-
桜花の碑見学 約15分
- 車で約60分
-
道の駅「たるみず」見学 約30分
- 車で約85分
- 鹿児島空港(レンタカーを返す)
合計の目安
約8時間
移動 約5時間25分/見学 約2時間35分
移動時間は車での目安です。道路や駐車場の混雑で変わります。
施設の開館時間は事前に確認すると安心です。
祖国を護る為に戦ってくださった英霊に感謝申し上げます。
以上です。
以上です。